創部70周年記念誌Web版
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Ⅸ 編集後記

薬師寺 玲(S58卒)

70周年事業で記念誌を作成作業に参画させていただきました。卓球部も 70 年続くと、OB・OGの人数も350人を超え、残念なことに連絡がつかない方も増えてきました。紹介欄も全員のコメントを集めることが出来ず残念であり、掲載できなかった皆さんには申し訳なく思います。

私は卓球から離れて40年近くなりましたが、卓球への愛着はなくなっていないように思います。昨年の 3 月に、NHKで「NAGAI~焼け野原のピンポン」という 30 分番組が放送されました。視聴された方も多いと思いますが、裏ラバーを発明した人の話です。簡単に内容を説明しますと、太平洋戦争で京都の家業の石油卸業が経営不振に陥った永井家を何とか立て直すために養子に出ていた三男の中村達四郎氏が京都に帰ってきます。彼は当時 30 歳近くでしたが、昭和 23年に開催されたマッカーサー杯の卓球部門に出場し優勝することで、GHQの覚えめでたくし永井家の名を売り込もうとした話です。中村達四郎氏は、もともと卓球選手ではなかったので、練習だけでは勝てないと思い、道具の改良を行い、試行錯誤の結果、裏ラバーを発明し、決勝までで進みます。決勝では、相手も日本ランク3位の選手でラバーだけでは勝てないので、反則サーブを繰り返して勝ったという話です。中村氏は、京都で卓球の指導もしていたようですが、家業はその後タクシー業界に進出し、現在のMKタクシーの前身になっています。
私が、現役のころは、「チキータ」や「YGサーブ」という単語はありませんでした。スポーツは常に変化し進歩していくのを痛感します。また、その裏にはいろいろな人の努力・研究があるのだと思います。今、現役の皆さんも、今の技術、用具が全てではなく、試行錯誤、研鑽を積んで、時には新しい目線で卓球界の進歩に貢献して下さい。
ちなみに、表ラバーは、1900 年頃、無名のイギリス人選手が薬局の釣銭用の平皿をヒントにして作ったそうです。
私が現役の時は一部に昇進するどころか、一時は三部に落ちてしまいましたが、私が卒業後、後輩が一部昇格を実現してくれました。後輩たちは、サーブを工夫したり、大学以外でも練習したり、今思えば見習うべき後輩だったように思います。
最後に、今回の 70 周年誌作成にご協力頂いたOB会役員の皆様、写真の提供や投稿をいただいた全てのOB・OG各位に厚くお礼申し上げます。

甲南大学体育会卓球部創部 70 周年誌
発行日  令和 4 年 6 月吉日
編集  発行者 甲南大学体育会卓球部OB・OG 会記念誌委員
     今井達司(S43)、北條暉彦(S37)、中川勝弘(S46)、松本吉正(S57)、薬師寺玲(S58)
印刷  甲南大学生活協同組合 複写センター