創部70周年記念誌Web版
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Ⅴ OB・OG(有志)便り

堤 明(S36卒)

七〇周年誌刊行にあたり、思い出を書けと藥師寺さんから依頼があり筆を取った次第ですが、字を忘れ、手もふるえて書きづらいですが思いつくまま筆にのせます。
私が甲南大学に入ったのは昭和三十二年四月で、部活を何にしようか迷って食堂に行き昼食のあとフト前をみると卓球をしている体育館がありました。私も中学と高校一年までは選手としてやっており、中学では団体戦ではあるが兵庫県大会まで行ったこともあり興味があったので練習を見に行ったのがきっかけでした。

そこではすでに先輩等にまじって新入生が三人練習しており、二人は非常にうまく、一人は早くいえばへたくそでした。私も一担やめていたのでへたのたぐいなので思い直して帰り、ちょうど高校からの友人のさそいに乗ろうかと体育館を後にしました。
しかし、その日の夕方、一人の帽子をかぶった学生が家にたずねて来たのです。びっくりして良く見ると昼間に体育館で見たヘタの一人で入部をさそいにきたのでした。
聞くと入部条件が頭を丸坊主にすることだとのこと、そのため三十人以上の新入生が入部をあきらめたとのことなど必死で話をし、私にも髪の毛を切ってくれとせがんだのです。私も何度も断りつづけましたが、ついに根負けし承諾しました。そしたら今からすぐに散髪屋に行こうと手を引っ張りました。その後六十幾年親友としてつき合い、今でもふとある度に思い出します。その「ヘタ」こそが椎尾雅布君です。

その後一般部員として六人が入部し合計九人の同期となりましたが、上手な二人も二回生になるといろいろな事情で退部し、結局三十六年の卒業時には六人だけとなり、現在はたった二人で、淋しいかぎりです。

戦績は私の在学中全日本学校対抗戦は欠かしたことはありませんし、学習院戦は負けたことはなく、4回生で全日本学校対抗戦でベスト16に入ったこと、また甲南大卓球部で初めて入替戦をせずに一部に残留したことです。
その後、後輩達の頑張りで一部の二位にまで上ったことは特筆されましょう。それには渡辺重伍先生の御指導あってのことと感謝しております。
その他、学習院戦のあとの歓迎会での食あたりなど、苦しいことや楽しいことなど多々ありましたが長くなりますので終ります。

最後になりましたが、御世話になった先輩方も少なくなり、淋しさはかくせませんが、大芝さん、橋本さん、常盤さんなどまだまだ御元気な方々もいらっしゃるようで同慶の至りです。


リーグ戦応援風景 後列左から西田さん、神田さん、村上さん、堤さん、北條さん