創部70周年記念誌Web版
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(6) 1部昇格の思い出 城ヶ辻 信男

城ヶ辻 信男(S61卒)

創部70周年を迎えるにあたり、誠におめでとうございます。直接・間接問わず様々な方にお世話になりまして、心より御礼を申し上げます。
今を遡る事38年前1984年の春、2部リーグを戦っていました。早い段階で関学に2-4で負けてしまって、1部が遠のいたと思っていたところ、その後関学が神戸大に3-4で敗れて生き返ったのでした。大経法を4-1で退けたので、4勝1敗でも得失点差で2部優勝することができました。
入替戦は奈良女子大において天理大学とでした。大接戦の末、4-3で勝利し、19 年ぶりに1部に昇格出来たのでした。勝利後のミーティングで神田監督にコメントをお願いした所、「ちょっと待ってくれ」と言って、美味しそうにたばこを燻らせたのを鮮明に覚えています。
秋リーグ初戦は、それまで5連覇している王者同志社。増田先輩が池西選手に負けて、自分の番では同級生の小田選手にセットオールの19 点で勝ちました。19 オールで今まで使っていなかった、横回転のフォアサーブをヤケクソで出してチビリながら勝ちました。続く大道先輩も、主将の小島選手に勝って2-1でリードしたのでした。取りこぼしの少なかった同志社からリードが奪えるなんて、好調な滑り出しに思えたのも束の間、当時6校しかない1部校ではポイントは取れるものの最終戦の大経大に負けて入替戦に回ったのでした。甲南卓球場での入替戦は関大と。自分が負けたことにより最終の菅野先輩が勝ってくれたお陰で1部を死守することができました。

次の春リーグは先輩レギュラーが3名卒業されたので、苦戦が続き全敗で入替戦を関学と戦うことに。試合前の校歌は、なぜか涙がこぼれそうでした。ここで降格すると、しばらく再昇格は厳しいだろうなあ、という思いがあったのかも知れません(想像以上にその道のりは長く28年間再昇格は叶いませんでした)。結局最終戦までもつれ込み、セットオール 19 点で負けて3-4で1部から陥落することになりました。 今は、1部最下位と2部優勝校の自動昇降格ですが、スポーツ推薦のなかった甲南がインターハイで優勝したりしていた選手を集めた大学と1部に昇格し互角に戦えたのは、不思議な感じがします。レギュラー選手だけでなく、すべてのピースが1つでも欠けていれば出来なかったことだと思います。(当時関西学生リーグは決して関東と比較してもそれほど劣っていなかったと思います、現に私の同級生の近畿大横山選手は全日本学生選手権のタイトルを取っています)
大道先輩は個人戦4勝1敗(敢闘賞候補に)、私は個人戦2シーズンで5勝4敗、ダブルスは1勝のみでしたが、すべての1部校からポイントを上げることができたのは今でも自慢です。卒業後2012年秋のリーグ戦を応援に行きました。あとにも先にも1回だけです。
1部から陥落してから27年が経っていました。大経法に0-4で負けたのですが、終わってからのミーティングでしゃべらせていただき、「是非、1部の舞台でプレーしてみて下さい。見える世界が変わるし、その後の人生も変わるから」と。みんなが私を見ながら目が輝いていました。どの様に感じたのかは聞いていませんが、1部でプレーを経験したことのある先輩からそう言われたら、やってみようと思ってくれたのかも知れません。
今回寄稿するにあたり、37 年前の記憶がものすごく曖昧で、先輩・同期・後輩や他校の方にも電話で相談させてもらいました。昔話に花が咲き、とても楽しい時間を過ごせました。4 年間という今から思えば短い期間でしたが、何十年経っても濃密な時間を皆さんと共有させていただけた事に感謝しております。