創部70周年記念誌Web版
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(5) 甲南学園卓球部と関西学生卓球連盟

松本 𠮷正(S57年卒)

私が卓球を始めたのは、昭和47年甲南中学に入学してからです、父彰一郎が甲南大学卓球部第1期生で OB 会会長を務めておりましたので、卓球部に入部致しました。父に連れられ中学生にしてリーグ戦、インカレ等甲南大学卓球部の試合を応援させて頂く機会に恵まれました。

甲南中学は中高一貫教育で、卓球部は中高6 学年が同じ体育館で練習しておりました。中高併せての部員も多い中、卓球台は4 台しかなく打球練習は上級生主体でした、しかしとても緊張感があり、わずかな時間の打球練習はすごく集中できました。当時高校を指導して頂きましたのは大塚保さん(S48)です、同級生で現OB 会常任幹事山口洋一さんはじめ大学卓球部の先輩方が芦屋の高校卓球場に来られ、指導頂く機会が多くありました。日曜日高校卓球場での練習が禁止されていたので、岡本の大学卓球場での大学練習への参加が通常となり、大学合宿にも幾度か参加させて頂きました。兵庫県大会、近畿大会直前になると高校卓球場で練習の後、大学卓球場での夜間練習が必須項目となっておりました。昭和50年、高1ながらレギュラーとして団体戦に起用して頂き、兵庫県大会で団体準優勝できました事は、大学卓球場での夜間練習と大学卓球部先輩ご指導のお陰と感謝いたしております。

スポーツ推薦がなかった当時、よく父が「甲南高校で強くなって、大学に来て頑張ってほしい」が口癖でした。『甲南スポーツ強化の為の中高大一貫体制』今では摂津会、スポーツ支援室が中心となって他運動部でも相乗効果が出てきておりますが、卓球部も硬式庭球部と並んで逸早く中高大一貫体制に取り組んで参りましたが、現在卓球部に於いてこの一貫体制が機能していないのが大変残念です。
高校3年の1月、甲南大学入学が決まったと同時に、関西学生卓球連盟(以下「学連」と呼称)の理事でもあった父から「自分自身の為、甲南大学卓球部強化の為にも学連で頑張ってはどうか」と勧められ、大学入学前から大阪上六卓球センター内にある学連事務所に通うようになり、学連幹事として大学卓球生活がスタートしました。当時一部は6校制、二部で優勝しても一部最下位校との入替戦に勝たないと一部には昇格できない狭き門でした、学連では男女を問わず上下関係が非常に厳しく、全国大会、リーグ戦等大会期間中、夜遅く迄大会の準備、設営に追われたことが懐かしい思い出です。

4 回生学連副幹事長として『打倒関東』を掲げ、『リーグ戦改革』『ランク選手の黄色ゼッケン』に取り組み、自分が具現化させた黄色ゼッケン着用が40年経った今でも引き継がれていることは誇らしいです、その年の関西学生卓球選手権において1 回生大道英二君(S60)が三部校ノーシードから16 位にランク入りし、彼は大学4 年間で3 度も関西学生ランク入りを果たしました。大道君の同級生木下勝文君が私の後任として学連幹事を引き継いで頂き、甲南大学強化に大変寄与してくれました、その結果昭和 60 年春季リーグ戦では甲南大学卓球部史上初めて、男女が一部で同時プレーという快挙に繋がりました。
平成23 年監督に就任された山本滋義(旧寺井重義)さん(S56)からOB会運営を手伝ってほしいと依頼を受け、微力ではありますが甲南大学卓球部の発展の為にと小奮闘しております。現在大学をご指導頂いております高島規郎先生(現学連会長)との再会もあり、吉田龍二さん(S33)、父(S31)に次いで平成22 年から学連理事に就任し、財務委員長として学生幹事と共に大学卓球を運営させて頂いております。大学時代から学連という中立な立場で学生卓球に関わっていますが、当然『甲南大学の活躍』が私自身一番の喜びです。令和元年、廣瀬駿介君(R3)が、甲南大学初の学連幹事長に選出され、現在は学連理事として私と一緒に複数体制で活躍して頂いております。

甲南大学卓球部創部70 周年、学連設立97 周年、父彰一郎が生きていたら88歳、故人となられた甲南大学卓球部 OB の方々と天国で喜んでいると思います。末筆ながら『甲南大学卓球部 70 周年誌』の発刊を祝するとともに、プレイヤーだけでなく、卓球人として育てて頂いた甲南学園卓球部に心より感謝し、甲南大学卓球部、関西学生卓球連盟の今後の更なる発展、大躍進をお祈り申し上げます。